くらむぼん〇〇生活

暇な時にちょこちょこ書きます

僕を作った半分が無くなった話。

14年前親父が突然仕事を辞めた。

僕はこの世の終わりだと思った。
僕は小6、妹は幼稚園年長。父は40歳、母は39歳。

やめた理由は鬱だ。

それが判明した経緯(最近知った)として父は寺の池で入水自殺をしようとしていたらしい。

腰くらいの深さで…ガチだったらしい。


そこの住職と何回か話しているなかで鬱だと言われた時、堰を切ったようにむせび泣く父を初めてみた。

(お父さんも泣くんだ…)そんな感覚だったことを覚えている。




それから精神病棟に入院して、退院してからは都会の親戚の近所に引っ越してきた。


それから3年くらい父は働かず暮らしていた。

母はそれがいやでなんとか働かせようと考えていた。

2011年3月11日
東日本大震災

何もできない状態の僕と妹。
父は元自衛官だったのでとっさの判断で食糧確保やプロパンガスのガス漏れを止めたりと活躍していた。

もしかしたらそれが自信になったのかもしれない。

父は引き続き仕事を探し、被災者雇用枠で何とか仕事をてにいれた。

造園の仕事だった。植物に興味のあった父にはうってつけであった。

初めは車の運転も怖かったらしいが次第に慣れていき、その後造園の資格を取得。
最近は現場監督までまかされるようになった。




2020年1月
父は元旦が誕生日であるが実家から離れて住む僕は仕事で休めなかったので宅配便でビールを送った。

「届きました。ありがとうございます。」
父はいつもメールは敬語だ。自衛官時代の癖らしい。

それから2週間。やっと連休が取れて帰れると連絡した。
「了解しました。」
相変わらずそっけないラインだった。

その日は9時に到着するバスが目の前で発進し、仕方なく11時に到着するバスに乗ることにした。

駅につき、実家に帰る前にビーツエックスを買うためヨドバシカメラに寄った。

もらったポイントでバンカーリングを買おうと思っていた時

母から父が病院に担ぎ込まれたから来てほしい。と電話があった。

救急の専用入り口の方ということで(造園の作業中梯子から転落したのか?最悪骨折かな?怪我が軽ければいいな)
と思いながら病院に向かった。


到着して迷いながらも受付を通してようやく母に会えた。

使っていない診察室に二人きりで手を握りながら今にも泣きだしそうな声で
「驚かないで聞いてね。お母さん夜勤明けから帰ってきて、○○(本名)が帰ってくるからお風呂沸かしてたの。
それでお父さん風邪で休みだったんだけど全然気配しなくて、部屋をのぞいたら首つってて…」

見つけた時にはもう死んでいたそうだ。



あまりにも非現実的で受け入れがたい現実だった。

鬱は完全に治ったと思っていた。
そう家族や親せきみんな当たり前のように思っていた。



今でも色々考えてしまう。

・1個前のバスに乗っていれば間に合ったんじゃないか

・てか、帰るっていって「了解」ってなんの了解だよ。
「OKちょうどいいから死ぬか!」ってか冗談じゃねえよ

・送ったビールまだ余ってるじゃねえか。ちゃんと飲んでからでも遅くねえだろ

・高木さんの新刊たのしみじゃねえのか

・親父が見捨てたこの世の中で生きていく俺らの気持ち考えろよ

・この世は死ぬほど価値があるものじゃねえだろ

・この世から親父が居なくなっても世界は変わらず動き続けるし、他人はそこまで気にしない。

・親父より死んだ方がいい人間が山ほどいるのになんであんたが死ななきゃいけないんだよ。
会社のやつ一回ぶんなぐってから死ねよ、クビになってもいいからさ生きててくれよ
おやじは一人しかいないんだからさ。

・これから俺が出会う素晴らしい光景や人物を紹介できないのか。

・親父がおごってくれた牛すき御膳美味しかったなあ。また食いに行きたいなあ。


なんて暇があればずーーーーーっと考えてしまう。

それが仕事の作業中や今日みたいな休みの深夜とかに考えて、落ち込んでしまう。


僕を僕たらしめている半分を作ってくれた人が生きづらかった・嫌った世界で僕は生きていけるのかと
考えると溜息が出てしまう。

そんな最近。変わらない日常。まさかワニより先に死ぬなんてな。