こんにちはCuraです。
最近心にダイレクトアタックしてきた記事があったので、紹介したいと思います。
環境だけではなく、外見も全部そう。
太っているのも痩せているのもマッチョなのも、髪が長いのも短いのも、各々のベストな選択の結果なわけです。
これはもう反論の余地なんか1ミクロンもないド正論なのです。
あれもこれも全部まぎれもなく自分自身の意思。選択の結果。
誰かに相談したことがあったとしても、最終的に選択したのは自分。
だから、誕生日を孤独に過ごすのも、家族で過ごすのも、己が選んだ結果なのです。
これを、不幸と言ってしまうのはどうかと思うのです。
不幸だと決めてしまえば、それまでのベストな選択を、己自身の全否定。
…うう
ダイレクトアタックだあ。
人生は選択の連続ですね。
選択の結果今の自分がある。
10代の頃は選択の結果が人生に影響していると思っていませんでした。
私の10代は、部活をせず、バイトばかりしていました。
バイトのおかげで現職の接客業に就けました。
同世代と比較すると楽しく仕事できていると思います。
ただ人間は贅沢なもので、部活をしてこなかったことを悔やんだりするんです。
社会人の話題と言えば、食べ物、時事ネタ、天気、そしてスポーツ…
からの~学生時代の部活です。
10代の頃は
「あんなに苦労して、お金をもらえず、怪我までして、休日の時間を奪われ、長期の休みも奪われる。あげくの果てに、先輩後輩の馬鹿みたいなやりとりしなくちゃいけないなんて最悪。」
なんて思っていました。
ただ、最近は
「プロでもない一般人が一つの分野に対して経済的、人間関係、環境すべて何の心配もなく、全力で挑める機会。」
だったのかもと思うようになりました。
健康的な体、教える人、一緒にする人、道具、環境、時間、
怪我をしたときに支えて、応援してくれる人。
学生時代には無料で自分の周りにいた、あったものが
社会人になるとすべてにお金が発生します。
それもかなりの金額。
これらの条件のもと、安心して全力で夢を追いかけることができる学生は
かなり幸せものだなあと今になって思うんです。
私が部活をしていたら今の仕事をしていないし、謎の首の痛さに悩まされながらこのブログを書いていなかったでしょう。
これはこれで幸せだと思うんです。
ただ、学生時代にしか経験できない
そのステージでしか経験できない経験って成功しても失敗しても、生きる上でとても大切な財産であり、その人のルーツとなりえるんです。
その経験をみすみす自分から逃したと思うと寂しくなります。
やりたいことがあったらとりあえず全部やる。
そして両手いっぱいにかかえて転んだとしても、手放さない。
顔面からつんのめって鼻血を出しながら笑ってるくらいのお馬鹿さが学生時代にほしかたです。
もしかしたら、転ぶことが怖くて、片手を開けるクセが抜けないまま、10代の己の全力を知らずに死んでいく人生ではなかったのかな
と今更ながら考えてしまいます。
はあー最後は暗くなっちゃった。
社会人パワー(お金)を使ってハーゲンダッツ買いに行こー。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
Cura